ライフの人生
台風が直撃して気圧が下がったので、僕は死んだように眠っていた。 -暗黒コロッケ編-
趣味と孤独 -ひとのガンダムを捨てるな-
趣味を持つ人間に言わせれば、「もう卒業したら?」という言葉は、「もう自らを適切に統治するのはやめて他人への執着を強く抱き、自分の内なる孤独すらも周囲に預けて依存する人間へと後退したら?」という悪魔からの誘惑にほかなりません。
— 東日本パスタ妥協センター (@_wzm) 2017年7月4日
個人的に、「趣味とは極めるもの」という考え方には大変に疑問を持っています。趣味とは、それ自体を道(どう)のように極めることが最終目的なのではなく、趣味を通じて適切な孤独を自らの内に飼育することが目的の主眼にあったはずで、それが道(どう)のような形態をとっているのは飽くまで便宜上の理由であったはずです。実際、同じ趣味を持つ者同士で、それを極めた者とそうでない者の区別が生まれると、自分の中の孤独を「師匠」のような他人に預ける、というような、不適切な事態が生じかねません。
そのようなわけで、趣味を持っていない人間は適切な孤独も持てていない、ということが往々にしてあります。自分はそういう人間だと当人が割り切れれば、その瞬間に適切な孤独がその人の内に芽生えるので問題は起こらないのですが、それができない人間の中には、周囲の人間を自分の世界観に押し込むことで安易に孤独を手に入れようとする人がいます。そういう人は自分ではなく身近な人の変革を試みようとして周囲のあらゆる状況を支配しようとします。例えば他人の持ち物を勝手に捨てたり、暴力を振るったり、相手の人生における重大な決定に無責任に介入しようとします。
趣味とは、他人への執着を捨て、自分をよりよく統治するための簡単な方法の一つです。それが理解できていない人間が他人の領域を侵略しようとするのだと思います。
以下補足
※適切な孤独を養う方法として、趣味を持つこと以外に知られているものとして、例えば哲学や学問をするというものがあります。これはそこそこハードルが高いので、多くの人は趣味を持つことを選びます。
※長年愛好している趣味を持っていたり、それを極めている人間の中にも、こういった他人への侵略を試みる人がいます。趣味を持ってはいても、それを通じて適切な孤独を養うことを怠っていると、こういう人間になるのだろうと思います。新参者をさげすむ人たちや、注目を集めるための意図的な迷惑行為を披露する人たちがこれに当たります。意図的な迷惑行為とは、例えば同級生たちが嫌がるのを分かっていて給食の時間にアニソンを流す、といったような行為のことです。
もうだめ
ラーメンです https://t.co/KhsVitpjvX pic.twitter.com/bUMSMvBIX5
— 東日本パスタ妥協センター (@_wzm) 2017年5月13日
油そばです https://t.co/Gmn48cq7w2 pic.twitter.com/7drrwh6Evk
— 東日本パスタ妥協センター (@_wzm) 2017年5月13日
正直、やらかした。久々に、やってしまった。体は発狂しながら悲鳴を上げ、精神はすっかり満たされて狂喜乱舞している。全てを御さなければならない僕は、とにかく横になっている。こんな馬鹿なことは生涯で最後にしなければならない。
レゴの酷い遊び方 ~経済戦争編~
ブロック遊びで出来たもので遊ぶ行為って、何かに見立てる遊びだから、それをテーマにしたテーマパーク、既に緻密に作り上げられた世界観を味わうタイプのテーマパークとは、全く違うものになるの、考えてみれば当然だなと思う
— 東日本パスタ妥協センター (@_wzm) 2017年4月4日
「レゴは作る行為を楽しむもの」という解釈もまた、大人の世界の押し付けになり得ると思うんですよね…これ難しいところなんですが…
僕の個人的な体験談にすごく依った言い方になってしまうのだけれど、子供の頃、僕はレゴで作る行為より、作ったもので遊ぶほうが好きで、とても子供が作ったとは思えないような型にはまったショボい完成品に、緻密な世界観や物語を与える方に重きを置き過ぎていたために、親に咎められたことがある。
「いつまで作ったものを大事に取っとくんだ、レゴとは作ったものを崩してまた作るものだぞ」と。子供が親にそう言われるという。
既製のセットの完成品で遊ぶのに飽き、それを崩して手持ちのレゴの山に混ぜる瞬間なんかは、まるで儀式を執り行うかのような、厳かな気持ちだった。この飛行機にはもう二度と出会うことはないかもしれぬが、お前は本当にそれでよいのか?よいのだな、と。
僕の作った作品、現実世界の模倣というより、まるで演劇の大道具小道具のようだった。いや、それよりももっと簡略化された、歴史マンガの隅とかにあるような、古代の建物の見取り図や地図のようだった。現実のパロディのパロディかよみたいな。ボードに一直線にブロックを並べてはめて、「これ家の壁ね」みたいな感じ。
作り出したレゴの国々に、複雑な建国神話や外交関係の設定を与えて、国同士のプレゼンスを物語の筋に影響させようとしたりしていたので、一緒に遊んでいた友達に「意味が分からない」「何だよ同盟とか条約って」みたいなことを言われた記憶がある。
特別な透明パーツ等に通貨としての価値を与えて、長期的な富(ブロック)の独占行為や、経済戦争を仕掛けようとしたことすらある。予め特定の透明パーツを手元に集めておいて、「ブロックのやり取り等で喧嘩が起こらないように、今後はこの透明パーツを交換の道具に使いましょう。これで円滑にレゴ遊びができますね」ってみんなに提案すんの。これがほんとのブロック経済。っていやほんとめんどくせぇっていうか陰湿な子供だな今思い返すと。友達の言う通りや。もう子供の発想じゃないわ今考えると。考えてみればそんなにブロックのやり取りで喧嘩起こっていた記憶ないし。ありもしない恐怖を煽って不要なルール作って自分の利益を守ることに成功していて、子供と言うより老害の発想である。末恐ろしいわ。下級生たちに「そもそもブロックの私的所有権とは何か」みたいなことを問われて革命起こされなくてよかった。
書いてて思ったんだけど僕変な子供だなー。全然モデルケースにふさわしくないわ。すみません。
子供は子供らしく素直に遊んでないと、こんな大人になっちゃうぞ。