wzmx’s diary

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私の頭の中のアレキサンドリア

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 上の記事の内容とは少しずれた話になるかもしれないけど、僕の頭の中には3人の男がいて、普段は特に出番は無いんだけど、僕が難しいことを考えようとすると彼らが出てくる。僕の思考は彼らによって言語化されて音声言語になり、頭の中に流れてくる。基本的に映像は無くて、彼らの声だけが聞こえてくる。

 

 一人はリンカーン大統領風の男で、いつも大勢の人の前で演説をしている。

 彼は僕の考えていることを、僕を含む聴衆にも伝わりやすい適切な言葉を選んで言語化してくれるので、僕は自分でもよく分かっていなかった自分自身の思考を、彼の演説を通して理解できるようになる。

 基本的に僕には彼の声だけが聞こえているので、聴衆の様子は分からないはずなのだが、なぜか聴衆は彼の演説に至極納得しているらしい様子がいつも伝わってくる。これは、自分の思考を大勢の人に共感してもらいたいという、僕の潜在的な願望を反映しているものと思われる。

 

 もう一人は古代の予言者か哲学者風の爺さんで、いつも誰かに手紙を書いている。

 彼は、僕が他の人や周囲一般の態度や言動などのことで、もどかしく思っていたり、期待していることを、僕の代わりに手紙形式でしたためて、僕の期待を叶えるようにと、いつも相手に促している。といっても高圧的に要求したり、脅したりするような言い方は決してせず、自分の勧めどおりにしたほうが相手の人にもメリットがあるとか、或いはその人自身の良心に訴えかけるような言い方をすることが多い。

 「あなたの愛すべき友人として、私はこのように懇願致します。あなた自身の良心と誇りのために、どうかこれこれこのようにして下さい。どうかお願い致します」みたいな、哀願するような文面の手紙形式で、僕の思考を言語化してくれる。僕の頭の中には、自分が書いた手紙を音読しているような彼の声だけが聞こえてくる。

 ほとんどの場合、僕は彼の哀願の声を聞くだけで、何となくすっきりして、周囲への過剰な期待や、自分の力だけでは何ともし難い人間関係の諸々に対する、無意味な困惑や混乱から、少し解放される。

 或いは、改めて自分の思考を文章にして見返してみると、あーこれって単に僕の我侭だなーとか気づかされたりするので、自分自身を客観視する手段としても便利に使っている。

 

 もう一人は明治の文豪風の男で、小説の主人公のモノローグのような形式で、僕の思考を延々と書きつらね言語化し続ける。

 彼の文章は(つまり彼が出てくる時の僕の思考は)他の二人よりも大分まとまりがない。各文章は前後の文章とはギリギリ繋がりがあるのだが、全体を通してみると、ところどころで矛盾があったりする。ここはこういう結論になってるのにこの部分は真逆のこと言ってるじゃんとかよくある。他の二人と違って、全体の大きな起承転結の枠組みを意識して書く、ということをしないので、短い起承転結をひたすらジャズセッションのように繰り返し繰り返し書き続けている。ひたすら連綿と書き続けるので、ほっといたら永遠に何か書き続けていそうである。実際彼が出てくると、僕自身が考え続ける体力が無くなるまで書き続けていることが多いので、正直彼が出てくるとちょっと疲れる。

 彼を頭の中から追い出すには結構エネルギーを使うので、迷惑な存在と言えばそうなんだけど、普通では言語化しにくいもやもやした気持ちとかを、多大なエネルギーを使って無理やり言語化しまくっていろいろなものを少しずつリセットしていく、という最終究極手段は彼にしか使えないので、非常時には彼がいないと困る。