少しでも理解したい、という思いの表れであるのなら別によいのです
陰キャとかおたく(笑)とか言われる人、「でも」が頭につくような否定の意見ばかりを言いがちなので最低限頭に「なるほど」とか「確かに」みたいな相手を認めるワンクッションをつける意識をするだけで他人に誤解をされたりコミュ障と言われるシーンが減るのに残念ながら悪い意味で個が強い
— メンマ氏 (@menmanist) 2017年3月13日
自分の方からこういう努力をしていくのってすごく大事なことだと僕も思うんですが、では相手がこれをやってきた時にどう受け止めるべきかと言うと…。
これは特に田舎に引っ越して以降に自分のリアル周囲でよく起こりはじめたことなんですが、相手の台詞には「なるほど」「確かに」と頭についているはずなのに、後に続く言葉が完全にこっちの言ったことと真逆だったりする人がいる。
読解力が無いだけだったり、少しでも理解したい、という思いの表れであるのなら別によいのです。むしろそういった喜ぶべきケースのほうが普通は多い。そういう人とは、多少考えが違ったとしても、とても良い友達になれる可能性があって、そういう出会いは、すごく喜ばしい体験の始まりだと思う。
ただ、とりあえず納得したふりをして、最終的にはこっちを誘導して思い通りにしたいだけの、非常に偽善的な動機を持った人間、こういうのがたまにいる。
善人ぶってるけど最後には手前の小さな世界のルールに他人を押し込むことがこういう人の思う平和だったりする。良い人に見えるから周囲の評価は悪くなかったり、むしろある程度の立場を持っていたり、尊敬を集めていることさえあるんだけど、実は譲歩することを知らない恐ろしいタイプ。若い人より中年以上の人間に多い気がする。
普通は付き合いの長い人間って何だかんだで仲良くなれてたりするけど、こういうタイプの人間って、付き合いが長くなればなるほど心の中では距離ができていく。相手の言動に徐々にボロが見えてきて、こっちにもいい加減、変なものが伝わってくるからだ。ああ、この人と仲良くなるためのあらゆる努力、全部無駄だったんだな、とがっかりしてしまう。ただ、相手にこういう傾向があることを初見で見抜くのは難しい。
小手先の「とりあえず同意しておく」テクニックを使ってその場その場を何とか出来ていることを根拠に、当人は自分のことを「自分はこのとおり、考えの違う人間とうまくやれておる。自分は多様性を許容できている寛容な人間だ」と思い込んでいたりする。それだけならまだマシで、「こんな自分でさえ受け入れにくく感じるような人間は相当に酷い人間だから、多少棘のある言葉をぶつけても平気だ」というところまで飛躍していたりすると、もはや、偽善的に光を放つ外套をまとった、ちょっとした小鬼である。
本当に良い人たちも同じようなテクニックを使ってくるだけに、まじで厄介な話だ。