wzmx’s diary

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Webライター・ヨッピーさんの「フリー素材はゴミ」発言について

tver.jp

さらば青春の光・森田:

フリー素材でしか作ってないゲームを考えたんっすよ。誰にも頼ってない、もうあの、ネットにしか頼ってない。

 

ヨッピー:

なんか"ゴミを集めて工作をするおじさん"が作ったみたいな。

 

 会心の1ゲー 2月4日(木)放送分

 

フリー素材を公開している人の動機は様々だ。自分の創作物の宣伝になるから、というような一定の経済的合理性に基づく場合もあれば、より利他の精神に根付いているケースもある。

僕が趣味でゲーム作りをしていた頃。Webから収集した素材は各権利者ごとにフォルダに分類し、入手した時点の利用規約(当然、権利表示の規定等、重要な情報がここに含まれている。)、入手したWebサイトのURL、権利者の名前を記録したテキストファイルを必ず各フォルダに配置し、「素材そのもの」と「その素材のふさわしい取り扱われ方」とが必ずセットで保存されるように細心の注意を払っていた。ゲームの著作権表示の部分の製作に取り掛かる際には、それぞれの著作権者の利用規約にもう一度目を通し、全ての素材が適正に扱われているか、念入りにチェックするようにしていた。万が一、著作権の所在が曖昧となった素材が見つかった場合*1、その素材は一切使用されないよう厳重に隔離するものとし、素材の著作者に敬意を欠いた状態が公に発生しないよう、細心の注意を払った。

フリー素材の使用にあたってこれだけ管理の手間をかけたのは、基本的に、自分は素材を"使わせていただいている"立場だという認識があったからだ。

もっとも、フリー素材を使用して完成した作品が内包する表現にも(多少皮肉めいたニュアンスを感じさせるものを含め)、様々なありようがあってしかるべきである。例えば、あるフリー素材が一定のチープさを意図的に醸し出していた場合、それを活用して新しくシニカルな表現を生み出す、というケースはありうる。

それでも、素材そのものを「ゴミ」と表現するのは、その素材自体の存在意義にもある程度踏み込もうとする言葉選びである。これはあまりに敬意を欠く。(通常、誰かが誰かに、あるいは誰かが何らかの創作物に「ゴミ」という論評をする場合、その誰かないし創作物については、「捨ててもよいもの」あるいは「存在する価値のないもの」とみなされてしかるべき、という意味である。)

*1:ゲーム制作をはじめたばかりの不慣れな頃は、"Webサイトの名前と著作権者の氏名とが混同されている危険性があり、かつ該当のWebサイトが閉鎖されていて確認ができない"というような事態が時折発生した。