wzmx’s diary

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#つくりおき に登場していた麩焼き味噌汁について

tsukurioki.hatenablog.com

 

 麩焼き味噌汁、私も何年か前に祖母に頂いて、食べたことがある。最中生地に具材が包まれたインスタント味噌汁の一種で、お椀の中にそれを置き、最中の外装の真ん中を少しつぶして割れ目を入れ、そこを狙いながらお湯を注ぐ。すると、最中の中から、小さな花の形をしたかまぼこが、ふわっとお湯の中を泳ぎながら現れる、等の素敵な過程を経て、最終的にはお吸い物が完成する。

 特にこのお花がふわっと現れる仕掛けがすごく綺麗で、本当にサンキューですという気持ちになる素敵な逸品でした。

 

人間、相違点を探す能力と、類似点を探す能力、どちらが優れていますか

 人間、相違点を探す能力と、類似点を探す能力、どちらが優れていますか、ということを考えた場合、たぶん類似点を探す能力のほうが優れている、と私は思います。というのは、私が他人の顔を「こいつあいつだー」と認識する際、恐らく他の人間との相違点ではなく、類似点で見分けている気がするからです。
 例えば、僕らが人違いをする際、「あいつと似ているので間違えました」という理由で人違いをする事はあっても、「Aという人物やBという人物、また他のどの人物と似てなさすぎる故に、全く別の人間であるCという人物だと思ってしまいました」という理由で人違いをする事はないと思います。
 人間、周囲の世界に、類似点とか、知っているものを、常に求めている気がします。
 

初夢がちょっと怖かった…あとおならでした

 私は旅先から帰るための飛行機を待っていました。まだ空港へも出発していないのか、ごみごみした雑多な事務室のような部屋にいました。フライトの時刻を確認すると、“3時”であることが分かりました。まだ少し時間があるな、と思った私は、少しだけ仮眠をとるために横になり、そのまま吸い込まれるように眠りに落ちていきました(もう寝てるのに)。

 仮眠から目を覚ますと、デジタル時計が15時を指していました。私は「しまった、もうおそいか」と焦燥感に襲われましたが、チケットをみて仰天しました。なんと、フライトの時刻は“13時”だったのです! 数字を見間違えて“午後3時”だと誤認してしまいました。とっくに過ぎているではありませんか。私は絶望感に襲われました。そばにいたおばさん(何者?)が苦笑しながら、フライト時刻を過ぎてしまったのかどうかと聞いてきました。私は、そのようですね、といったような返事をして、愛想笑いをしていました。

 その夢はそのままフェードアウトし、視界は真っ暗闇になりました。

 

 次に見た夢で、私は以前住んでいた団地の一室に居ました。奥の間の和室で、実母と立ち話をしているようでした。

 部屋のインターホンが鳴りました。私は偶然手の中にあった受話器(実物は壁に備え付けられた普通のコード付き電話機の形状をしていたはずですが、何故か夢の中ではコードレスでした。)をとり、返事をしました。玄関先の訪問者はおばさんのようでした。

 「あのー、わたくしは、山岳研究協会の者です。部屋の耐震強度、耐水強度、○○の××、△△の□□をチェックしに伺っておりまして…」

 電話の相手はしどろもどろで、明らかに本性を隠そうとしており、その場で適当に思いついた嘘を順番に言っているような雰囲気でした。私は一旦受話器から顔を離し、困惑した表情で実母を見ましたが、思い直して受話器の向こうの人物に言いました。

 「あの、そういうのは結構ですから。」

 電話の相手はこう言い返してきました。

 「残念です。あの人に似てると思ったのに。」

 私は受話器を下げました。困惑は一抹の不安に変わりました。これで諦めます、という口ぶりではなかったからです。私は家の安全を確かめるために、和室の入口から顔を出し、廊下の向こうの玄関先の様子を伺いました。

 すると、廊下の中途にあるトイレの扉が、そっと音を立てて閉まったところだったのです。

 私は侵入者が出てこられないよう、トイレの扉を押さえつけました。危険に気づいた侵入者が押し返してきました。私は廊下の向こうで見ていた実母に(ひゃくじゅうばんして!)と口パクで伝えました。そこへ帰宅してきた実父が玄関先に現れました。私は扉を押さえつけるのを手伝ってくれるように実父に頼みました。状況が飲み込めない実父の返事を待たずに、実母のほうを振り返り、「警察呼んでくれた?」と声を出して問いかけました。

 するとトイレの中の侵入者が“警察”という言葉に反応してひときわ強く押し返してきたのです! ものすごい力です。危険を感じた彼女の力は、男性である私の力と均衡を破り、扉を徐々に開いてゆきます。ついに彼女の顔が見えました。

 まるで悪鬼のようでした。

 私は悲鳴をあげかけました。人間の表情ではありませんでした。

 

 私はそこで目が覚めました。時計を見ると、4時27分でした。今度は午前の4時でした。

 予定していた起床時刻までまだ時間がありました。私は白昼に眠気に襲われないために、もう一度寝ようとしましたが、もはやそうすることはできませんでした。私は落ち着きなく布団の中で何度も体の向きを変えました。しかしどうしても安眠することはできませんでした。結局朝の6時頃までそうした後、仕方なく身体を起こしました。布団の中で10回くらいおならした気がする。手前、自分で思ってるより健康かもしれない。

#年間ブックマークランキング

wzmx’s diaryの2015年ブックマークランキングベスト2(累計33ブックマーク)

# タイトル
1位 高知で消耗してる僕が高知のおすすめスポットかく - wzmx’s diary
2位 変な人なのに他人の共感呼べる人 - wzmx’s diary

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高知のおすすめスポット…そんなの書いたな…
当時はレアアイテムだと思っていた手結山の餅ですが、あの後、幾つかのコンビニで売っているのを見かけました。ただし"スリーエフ高知撤退後にスリーエフからローソンに変わった店舗のみ"っていう絶妙に微妙な条件をクリアしたコンビニでしか今のところ見かけてないので、依然としてある程度狙わないと手に入らないアイテムかもですが。いずれにしろ数年前に祖母に聞いた情報だったので、ちょっと情報が古かった。反省。
あの記事を書いた後、県内のいろんなスポットにもっと自分でも行っておくべきだとも反省したはずなんですが、思ったほど行けていない。
高知は旅するにはいい場所なんですが住むには最悪の土地なので、もっと観光者目線でも当地を楽しんでいかないと、単に住みづらい場所に住んでいるだけの人になってしまう。もっと自分の周りの天と地と人を楽しむようにしたい。あと来年は消耗するのやめたい。

ガルパン良かった。ドンドン言ってすごかった

ガルパン良かった。ドンドン言ってすごかった。まるで音楽のようだった。何かが走っている音が常に和音のように流れていた。お~と思っていたらドンドン!!パァーン!!とリズミカルに音が鳴った。そして誰かが叫んでいた。「みんなこうしろ!」「やったなこの野郎!」程度の意味だったが、いろんなお国柄や戦争のうんちくみたいなのを上手に取り入れて表現し、繰り返していた。まるで詩のようだった。いろんな国の軍歌がかっこいいアドリブみたいに引用されて、「これオシャレやろ?」みたいな感じで流れてきて、「はい。」としか言えなかった。最後に主人公格たちによるソロパートみたいなところがある。ひときわドンドン言っていた。僕は静かだった。


情報量が多くて疲れた。上映中、体温が下がったり上がったりしたので、コートを脱いだり着たりした。映画が終わった後、すっかり夜はふけていて、外は涼しかった。

私の頭の中のアレキサンドリア

decinormal.com

 上の記事の内容とは少しずれた話になるかもしれないけど、僕の頭の中には3人の男がいて、普段は特に出番は無いんだけど、僕が難しいことを考えようとすると彼らが出てくる。僕の思考は彼らによって言語化されて音声言語になり、頭の中に流れてくる。基本的に映像は無くて、彼らの声だけが聞こえてくる。

 

 一人はリンカーン大統領風の男で、いつも大勢の人の前で演説をしている。

 彼は僕の考えていることを、僕を含む聴衆にも伝わりやすい適切な言葉を選んで言語化してくれるので、僕は自分でもよく分かっていなかった自分自身の思考を、彼の演説を通して理解できるようになる。

 基本的に僕には彼の声だけが聞こえているので、聴衆の様子は分からないはずなのだが、なぜか聴衆は彼の演説に至極納得しているらしい様子がいつも伝わってくる。これは、自分の思考を大勢の人に共感してもらいたいという、僕の潜在的な願望を反映しているものと思われる。

 

 もう一人は古代の予言者か哲学者風の爺さんで、いつも誰かに手紙を書いている。

 彼は、僕が他の人や周囲一般の態度や言動などのことで、もどかしく思っていたり、期待していることを、僕の代わりに手紙形式でしたためて、僕の期待を叶えるようにと、いつも相手に促している。といっても高圧的に要求したり、脅したりするような言い方は決してせず、自分の勧めどおりにしたほうが相手の人にもメリットがあるとか、或いはその人自身の良心に訴えかけるような言い方をすることが多い。

 「あなたの愛すべき友人として、私はこのように懇願致します。あなた自身の良心と誇りのために、どうかこれこれこのようにして下さい。どうかお願い致します」みたいな、哀願するような文面の手紙形式で、僕の思考を言語化してくれる。僕の頭の中には、自分が書いた手紙を音読しているような彼の声だけが聞こえてくる。

 ほとんどの場合、僕は彼の哀願の声を聞くだけで、何となくすっきりして、周囲への過剰な期待や、自分の力だけでは何ともし難い人間関係の諸々に対する、無意味な困惑や混乱から、少し解放される。

 或いは、改めて自分の思考を文章にして見返してみると、あーこれって単に僕の我侭だなーとか気づかされたりするので、自分自身を客観視する手段としても便利に使っている。

 

 もう一人は明治の文豪風の男で、小説の主人公のモノローグのような形式で、僕の思考を延々と書きつらね言語化し続ける。

 彼の文章は(つまり彼が出てくる時の僕の思考は)他の二人よりも大分まとまりがない。各文章は前後の文章とはギリギリ繋がりがあるのだが、全体を通してみると、ところどころで矛盾があったりする。ここはこういう結論になってるのにこの部分は真逆のこと言ってるじゃんとかよくある。他の二人と違って、全体の大きな起承転結の枠組みを意識して書く、ということをしないので、短い起承転結をひたすらジャズセッションのように繰り返し繰り返し書き続けている。ひたすら連綿と書き続けるので、ほっといたら永遠に何か書き続けていそうである。実際彼が出てくると、僕自身が考え続ける体力が無くなるまで書き続けていることが多いので、正直彼が出てくるとちょっと疲れる。

 彼を頭の中から追い出すには結構エネルギーを使うので、迷惑な存在と言えばそうなんだけど、普通では言語化しにくいもやもやした気持ちとかを、多大なエネルギーを使って無理やり言語化しまくっていろいろなものを少しずつリセットしていく、という最終究極手段は彼にしか使えないので、非常時には彼がいないと困る。